■東野圭吾作『ある閉ざされた雪の山荘で』の感想
※ネタバレありの感想です!
どこかの紹介欄でこの本が目に入ったので買ってきました。
東野さんは「ガリレオシリーズ」が有名なので、あまり他の作品を知らなかったのですが、こんなクローズドサークルものを書いてたんですね。
読み終わった正直な感想は「非常に勿体ない」という印象でした。アイディアは良いのに、なぜか途中からスリルが失速していく感じで、最後の推理披露ではテンションが落ちてしまいます。
読者はトリックが二転三転すると許せないのに、犯人の心情が二転三転するのは許さないのか? …と、ツッコミを入れたいかも。
東野さんは照れがあるのか、本格推理を意図的に外す傾向があるように思えます。だからトリックに関しては手の込んだものを適用しないで、「人の心情の変化」で謎となる部分を盛り上げようとします。
この物語も途中で死体を発見すればずいぶん面白くなりそうなのに、あえてそういう部分を盛り込まなかったのは残念です。
クローズドサークルものの代表作として『そして誰もいなくなった』などがありますが、あれは終始不安を煽るような効果がそこかしこに仕掛けられているのに対し、この『ある閉ざされた雪の山荘で』に関してはサスペンスな要素が少し足りない感じです。
これは演技かそれとも現実か? という、二択の効果は非常に素晴らしいアイディアなのに、最後までその不安な様子が自分には伝わりませんでした。
推理小説は「密室もの」や「意外な犯人」、そしてこうした舞台効果のある「クローズドサークル」ものは、作家人生の中で多量に書くことができません。
舞台や探偵を変えるなどして印象操作をしないと、すぐに批評家に揚げ足を取られる可能性があり、「過去に同じような作品を書いただろ」と言われてしまうからです。
少なくとも、私の中では東野作品の中で「クローズドサークル」ものの代表作がこれになりました。…いや、なってしまいました。
この印象を払拭するにはかなりの時間を要すると思います。何が言いたいのかというと、こういった推理小説の常套手段を扱うときは、読者に対して刻み込まれる印象が強烈になるため、本当に気をつけなくてはならないのです。
それから、手を汚さない犯人と実際に犯行を行う人間の心情があまりにズレていて、最後の展開が強引に感じました。
目的意識がはっきりしないと読者は戸惑います。いくら「私はそう思ったから」と説明しても、物語として辻褄が合わなくなってしまいます。
感情は複雑にするよりも、核となる部分はシンプルなほうが推理小説として面白いように思えます。
自分の中では評価の低い作品となってしまいましたが、この分野は金字塔のような作品が過去に大量に存在するため、比較してしまうのは仕方ないと思います。
何度も言いますが「演技」と「現実」を行き来するアイディアは本当に素晴らしいと思うので、いつか一歩踏み込んだ物語を東野さんに執筆していただきたいですね。