■これは「母の愛」の物語ではない
■作品の概要
『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロをプロデューサーに迎え製作されたスペイン発のホラー映画。短編映画やミュージックビデオ制作で活躍するJ・A・バヨーナが初の長編監督を務め、主演は『美しすぎる母』のベレン・ルエダ。『クライムタイム』のジェラルディン・チャップリンや、『宮廷画家ゴヤは見た』のマベル・リベラが脇を固める。緻密(ちみつ)な人物描写は単純なホラー映画とは一線を画し、母親の深く強い愛をサスペンスフルに描いている。
※ここから先の記事は、映画のネタバレを含んでいます。
■映画「永遠のこどもたち」の生と死
1・まず最初に、この映画の結末までの内容を簡単にまとめました
主人公であるラウラは幼い頃、孤児院にいたという経歴の持ち主です。大人になったラウラは、自らも施設を運営して障がいを持つ子供たちの面倒を見ようと、過去に住んでいた孤児院を買い取ります。
これは彼女の理想としていた生き方でした。
ラウラとその夫であるカルロスには息子がいました。シモンという名の男の子です。シモンは空想癖の強い男の子で、架空の友達を想像して一緒に遊ぶという、少し変わった性格の持ち主でした。
彼に友達ができないのは大きな理由があります。彼はHIV感染者でした。薬を飲み続けなければ死んでしまう体なので、学校にも行かせてもらえなかったのです。
しかも、シモンはカルロス夫妻と養子縁組した、血の繋がっていない親子だったのです。カルロス夫妻はこのことをシモンに隠していました。
しかし、孤児院に転居した頃にシモンの妄想は酷くなります。彼は「トマス」という幽霊の友達が、この孤児院に来ていると盛んにラウラに訴えるのです。
もちろん、ラウラはそんなシモンの訴えを退けます。シモンの空想癖は彼女にとって悩みの種の一つでした。
そして、障がいを持つ子供たちを孤児院に受け入れようとした日に、恐ろしいことが起こります。シモンが突如失踪するのです。ラウラはシモンがいなくなる前に、不気味な布袋を被った子供に襲われます。
その布袋を被った子供が、まさにシモンの言っていた「トマス」だったのです。この事から、シモンが幽霊の「子供たち」に連れ去られたとラウラは思い込みます。
警察の捜索も虚しく、シモンが失踪してから半年が過ぎてしまいます。ラウラは精神的にも病み、時々孤児院の中で奇妙な幻覚を見るようになります。
…ラウラは追い詰められ、専門家である霊媒師に助けを求めます。
霊媒師は孤児院の中で殺人があったことを突き止め、カルロス夫妻に幽霊の子供たちが苦しんでいることを訴えます。この孤児院では過去、子供たちが全員毒殺されるという、凄惨な事件が起こっていたのです。
原因は「トマス」という子供でした。トマスは幼い頃から醜い顔をしていたため、覆面のような布袋を被って、ひっそりと孤児院の地下に一人で住んでいました。
しかし、その存在が孤児院の子供たちにバレてしまったため、トマスは執拗ないじめを受けて死んでしまいます。
トマスの母親は激しい復讐心を抱き、孤児院の子供たちを全員毒殺します。ラウラはその事件が起こる前に、新しい親に引き取られたため、運良く助かったのです。
ラウラは自分だけが助かったから、子供たちが恨んでシモンを連れ去ったのだと思い、許しを請うため一人孤児院に残って幽霊と対話することを試みます。
そして暗闇の中、子供たちはラウラの前に現れました。ラウラは子供たちを必死で追いかけ、トマスの住んでいた隠し部屋に辿り着きます。
…しかし、隠し部屋の中で見つけたのは、あれほど会いたいと願っていたシモンの変わり果てた姿だったのです。
ラウラは深い悲しみから、薬を飲んで自らの命を絶ちます。霊界へと旅立ったラウラはシモンと再会し、孤児院の子供たちとも一緒に暮らすことを決意します。
子供たちに囲まれたラウラは幸せそうに微笑み、シモンを強く抱きしめます。彼女は「永遠のこどもたち」の一人になったのです。
2・この映画がホラーやオカルト映画ではないと思う理由
この映画はホラーやオカルトというジャンルではありません。内容はサスペンスであり、もっと現実的なお話だと私は思っています。
…そして鑑賞した人誰もが、「母と子」の愛情を描いている作品だと感想を抱くはずです。しかし、私はこの結論に真っ先に異を唱えます。非常に巧みな誘導がこの映画には仕込んであるからです。
今回、製作総指揮はギレルモ・デル・トロさんですが、彼が監督した映画『パンズ・ラビリンス』を観た人は分かるように、強烈なビジュアル意識を持ったクリエイターです。
普通、幼い少女が思い描く空想の世界といえば、かわいい妖精が飛んでいたり、お花畑が広がる光景を想像するはずです。しかし、『パンズ・ラビリンス』ではそんな世界をあざ笑うかのように、悪夢に出てくるような異形のものが蠢きます。
ただの怪物ではありません。一目見ただけで吐き気を催すような「異形」の怪物です。
しかしビジュアルがどうであれ、私はギレルモ監督がリアリズムを貫いた思考の持ち主であると思っています。彼の「妄想を嫌悪する」という姿勢が、この作品にも表れているからです。
「永遠のこどもたち」ではピーターパンの住むネバーランドという言葉が重要な意味を持っていると思います。
では、「永遠のこどもたち」とは何か?
この作品の考えるネバーランドとは一体何なのでしょうか?
「永遠のこどもたち」とはイコール「死」です。この映画の言うネバーランドとは死の世界です。これは空想でも妄想でもなく、現実に行くことが可能な人間の最も身近にある「世界」なのです。
また、この映画で幽霊は存在しません。あの霊媒師の言ったこともすべて嘘であり茶番です。それをこれからご説明します。
3・シモンは何を見ていたのか?
シモンは空想したトマスを見ていた訳でも、幽霊と対話していた訳でもありません。ラウラが最初に遭遇した「トマス」は布を被ったシモンであり、幽霊ではないのです。
そして、シモンはトマスの服装や容貌を全部聞いて知っていました。誰に聞いたか? それはトマスの母親(ベニグナ)にです。
ベニグナは「孤児院の毒殺事件」の首謀者です。ラウラはトマスを直接いじめた訳ではありませんが、まったくの無関係ではありません。後に子供たちの骨が見つかったことから、おそらくベニグナは完全犯罪を成し遂げたのでしょう。
しかし、厄介なことに当時を知る人物(ラウラ)が孤児院に帰って来たため、ベニグナはカルロス夫妻の弱味を握り、ラウラに揺さぶりをかけます。
…それがシモンとカルロス夫妻の関係であり、死に直結する病をシモンが抱えているという問題です。
ベニグナから聞いた話により、シモンはいつ死んでしまうか分からない恐怖から、精神的に不安定になります。そして障がいを持つ子供たちを受け入れる日に、彼は感情が爆発してしまったのです。
私は最初からラウラの行動に理解できない部分がありました。これは映画『エスター』にも言えますが、あの夫婦は自分の寂しさを紛らわすために、子供たちを受け入れているようにしか見えませんでした。
必要以上に子供を育てようとした結果が、あの結末を招いたのだと思います。子供をペット感覚で育ててはいけません。
ラウラもシモンの問題が解決していない時点で、孤児院を始めようとしています。シモンは本当の問題に向き合って欲しいから、幽霊が出たなどと嘘を言ってラウラの関心を引きますが、彼女はまったく関係のない施設の経営を始めてしまいます。
…これではシモンが可哀そうです。
そしてあの悲劇が起こりました。不気味な布袋を被った子供が、ラウラの目の前に現れたのです。
しかし、私はこの子供がトマスに変装したシモンだと考えます。悲惨なのは、ラウラはこの時点で幽霊の「トマス」が本当に存在するのだと思い込んでしまうのです。
変装したシモンはトマスの隠し部屋へと逃げ込みます。ラウラが資材で隠し部屋のドアを固定したという過失もここで起こります。シモンは暗い部屋に一人で閉じ込められてしまったのです。
最後、シモンは死体となってラウラに発見されますが、パッと見、餓死しているように思ってしまいます。
しかし、私はここで断言します。シモンは餓死ではなく「自殺」したのです。
彼は自分の命が長くないことを知っていました。いずれ薬が切れれば自分は死んでしまう、それならいっそのこと友達の「トマス」と一緒にネバーランドへ行こう、この高い階段から飛び立とう、ネバーランドなら僕たちは永遠に子供のままだと…。
…シモンは暗い部屋の中でそう思ったのかもしれません。
映画の途中、大きな音がしたのはこれが原因です。たとえあの部屋に閉じ込められたとしても、大声を出して助けを呼べば聞こえたはずです。
しかし、シモンはそうしませんでした。親さえも信じられず、一人で悲しい決断をしてしまったのです。
4・ラウラと子供たち
最後の子供たちとの遊びは明らかにラウラの幻覚です。精神を安定させる薬を必要以上に飲んでいた様子だし、セラピーを受けたくらいですから、かなり追い詰められていたのでしょう。
幻覚を見たとしても不思議ではありません。
彼女は毒殺された子供たちの顔を覚えているし、同じ遊びをしたことがありますから、幻覚も真に迫って当然です。
そして宝探しゲームを手掛かりに、トマスの隠し部屋を発見します。そして、シモンの変わり果てた姿と対面するのです。
…ここで終われば良かったのですが、ラウラは最悪の決断をします。なんとシモンと同じく「自殺」を選択するのです。これでは子供の思考と変わらない、最も安易な「逃げ」です。
映画の中ではシモンと再開し、子供たちと抱き合って終わりますが、すべてはラウラの妄想だと思います。
はっきり言って、「幽霊現象」も「毒殺事件」も「トマス」も「孤児院の子供たち」も、ここでは一切関係ありません。これは心のすれ違いによる「事故」なのです。
5・死が近づいている人間は、異界の死者が見える
最後、ラウラの夫であるカルロスが、落ちていたペンダントを手にして、自然に開いたドアを見つめて微笑みます。
ペンダントは間違った妄想の象徴です。嫌な考え方かもしれませんが、カルロスも自殺するかもしれないよと、我々に暗示しているのかもしれません。
この映画では登場した霊媒師をはっきり「詐欺師」だと位置付けています。間違った妄想にとり憑かれてしまった結果が、ラウラの自殺です。
霊媒師がしきりに「見えないものを信じろ」とラウラに訴えますが、すべては戯言であり真っ赤な嘘なのです。
これが幽霊など一つも出ていないと結論する私の意見です。また、決して「母の愛」をテーマとしているのではなく、子供と現実的に向き合う大切さを教える映画なのです。